「文体練習」

小説を趣味とする者として、今更ですがレーモン・クノーの『文体練習』(訳:朝比奈弘治)を読みました。

創作者を目指す人は必読とかなんとか、一部では有名な本ですが、知らない方も多いと思うので、簡単に説明します。

ひとことで言うと、なんでもない出来事を、99通りの文体で書き分けるという「言語遊戯」を試みた実験作です。

まず、「1.メモ」としてこう始まります。

「S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボン代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に経っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、と言って咎める。辛辣な声を出そうとしているが、めそめそした口調。席があいたのを見て、あわてて座りに行く。
 二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、『きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな』と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟のあいた部分)を教え、その理由を説明する。」

ヤマもオチもイミもないエピソードですね。

これが、以下98通りに変奏されます。



例えば、「17.合成語」では

「白昼都心的な時空間のなか、わたしは満雑混踏するバスデッキで、編み紐巻き帽かぶりしたひょろ首の小癪者と、となり立ちしていた。その男は相乗り横客に『ぐい押しわざ突きしないで欲しい』と言ったあと、あわて飛んで席取り走った。あとときの別所で、わたしはその小癪者が知らず人といっしょに、サン=ラザっているのを見た。知らず人は『きみのコートには上付けボタンしたほうがいいな』と教勧導示しながら、その美装釈説をしていた。」

と、同じ状況をむやみに造語を駆使しながら描きます。

とにかくずっとこの調子で、「48.哲学的」では

「非蓋然的時間的偶然の本質性を現象学的精神性に提示する事は大都会にのみ可能で有る。S系統のバスと言う無意味かつ道具的な非実存的存在物中に時として身を置く哲学者は、其処に於いて虚栄の長首と無知の帽子的編紐に苦しむ世俗的意識の束の間の色褪せた出現を、明晰な松果腺的視線に拠って認識する事が可能と成る。真のエンテレケイアとして実現される事の無い此の質料は、意識の重みを有さない身体的機構の新バークリー主義的非在に対して、攻撃的エラン・ヴィタルの定言的命令の中へと往々にして身を投じるので有るが、此の様な倫理的姿勢はより無意識的な存在をして無の空間性の中へと突進せしめ、其の存在の第一元素と鉤形原子への分解を惹起するので有る。
 哲学的探求は通常、非本質的服飾的な其の模写物を伴う同一存在との偶発的出会いに於ける神秘的象徴解釈に於いて、其の作業を続行するので有るが、其の模写物は元の存在に対して、社会学的に過度に下層に位置するコートのボタンの概念を悟性の領域内に於いて転移すべき事を仮想的存在の相に於いて要請するのである。」

といった具合(ちなみに、このページのみなぜかゴシック体です)。



さらに、後半になるとネタも尽きてくるかと思いきや、どんどん筆が乗ってきて、あらぬ方向へトンガってゆきます。

例えば、「95.幾何学」

「方程式 84x + S = y によって示される直線上を移動する直方体の内部において、人体面Aは、長さ l ( l > n ) の円筒部分の上部に、二つの正弦曲線によって囲まれた球帽を持つものとする。この人体面Aが、もうひとつの野卑(トリビアル)な人体面Bとの接点を持つとき、その接点は怒りの尖点(カスプ)となることを証明せよ。
 この人体面Aが相同(ホモローグ)の人体面Cと交わる場合、その接点は半径 r ( r < l ) の円板である。人体面Aの鉛直軸におけるこの接点の高さ h を決定せよ。」

と、わけのわからない事態になっています。



さらに、「97.間投詞」では、

「さて! うわあ! むっ! うう! ふうむ! ああ! ぐふっ! んっ! おおっ! ふうん! ちっ! んむっ! あいっ! はは! うっ! おい! ん! ええー! ふうーっ!
 おやっ! はあん! ふむ! ほう! へえー! よしっ!」



奇書です。



ちなみに、値段は3398円+税。

これを高いととるか安いととるかは、本当に人によると思います。

僕は、今後の創作の糧になるかと思い投資したのですが、まだ手応えがよくわかりません。

ただ、3398円+税分くらいは楽しませてもらえました。
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by cos_ary | 2007-04-30 12:26 | 読書


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